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山形県 かみのやま温泉
TSUKIOKA HOTEL
歴史
History
正保元年 赤湯で創業。
日本文化を伝承する身近な場所。
当館は、正保元年(1644年)より赤湯にて堺屋旅館として創業しました。 時代の流れと共に建物の形は変わりましたが、宿屋として受け継がれた心は、いつの時代も同じです。決して洗礼されたサービスではないかもしれませんが、360年の間ゆっくりと受け継いだ私たちの真心と、癒しのお湯で皆様をお迎え致します。 アルバムからランダムに抜粋した一部写真と共に当館の歴史をご紹介させていただきます。
正保元年創業
明治
明治41年 家族写真
右が15代泰太郎 のち、三郎左衛門襲名
明治29年 赤湯にて
内湯落成堺屋本店
現在の大文字屋さん駐車場
15代 堺泰太郎 青年時代 後に、
かみのやま温泉へ移り現在の
月岡ホテルを創業。
大正〜昭和初期
大正12年頃
赤湯の堺屋旅館
この当時は上山と2軒で営業
大正9年
上山に創業前この地を買う。
中央の岩と欅は現在も中庭にあります。
大正9年
新湯第1号原泉の掘削
小屋がけをし臨時の浴槽に浴客を入れておりました。
上山創業当時からお世話になった
酒井弥惣 様
赤湯 酒井ワイナリー創業者
★酒井ワイナリー★
昔ながらの濾過機を一切使わない
ノンフィルターワインが自慢。
1つ1つ手作りのワインを現在も作り続けています。
見学もできますので是非一度足を運んで面白いワイン話を
上山創業当時からお世話になった
濱田五左衛門 様
米沢 浜田株式会社創業者
★浜田株式会社★
もともと日本酒(沖正宗)を醸造しておりましたが、
昭和に入りワインの醸造にも着手。
シャトーモンサンをはじめ、
山形を代表するワインが多数あります。
日本酒もワインも一度お試し下さい!
上山創業当時からお世話になった
木村市右衛門 様
高畠 (株)木村醤油店創業者
★株式会社木村醤油店★
山形には美味しいお醤油・お味噌が沢山あります。
ぜひお気に入りの一品を探してみて下さい!
上山創業当時からお世話になった
川村光太郎 様
上山創業当時からお世話になった
武田喜四郎 様
上山創業当時
15代 堺三郎左衛門
創業当時(大正11年)
月岡ホテル玄関前
玄関の場所は現在も同じです
創業当時(大正11年)
庭に面した浴場現在の外濠 堺屋の位置です。
創業当時(大正11年)
庭から見た全景①
創業当時(大正11年)
庭から見た全景②
創業当時(大正11年)
当時の池の広さは建物の5倍ありました。
創業当時(大正11年)
中庭を写す
創業当時(大正11年)
桧の間当時は、中庭に離れとして
ありました。現在は、北の丸に移築しております。
→現在の桧の間
大正11年~昭和初期まで 使用した浴場
熱くなると池に入って
体を冷ましたとか・・・
昭和10年代
昭和初期
桧の間に続く貸切風呂の ドレッサー
昭和初期
桧の間に続く貸切風呂の シャワールーム
昭和初期
中庭の船(つきをか丸)で 遊ぶ子供達。
小舟が2槽ありました。
昭和初期
お客様のお見送り
昭和初期
月岡ホテル創業当時の玄関
お出迎え
昭和初期
絵葉書用に撮られたカット
昭和初期
緞帳や下駄などに使われた印
昭和初期
菱刈陸軍大将ご来館
昭和初期
色々な方をお迎え致しました
昭和7年頃
芸者さんが沢山の豪勢な宴会
昭和10年3月26日
韓国 李王殿下お成り
昭和11年
中庭 春夜櫻
昭和10年代
15代 三郎左衛門
上山 月岡ホテル創設者
昭和12年
15代 三郎左衛門の葬儀に
結城豊太郎大蔵大臣が焼香。
皆、紋付袴で出迎え、緊張し
悲しいどころではなかったと手記にありました。
昭和15年
正面玄関
昭和15年
中庭
昭和15年
螺鈿階段~薔薇の間へ
昭和15年
薔薇の間(洋間)
昭和17年
杉山大将ご来館
昭和17年
第2回供出(全6回)
当時17代が戦地におり、
"孫の為に全て供出した 何も惜しくない"
との手記がありました。
昭和18年
第4回供出(全6回)
戦時中豊島区学童疎開の子供達が
先生と一緒に館内で生活していました。
当時倉本 聰さんも疎開しており、
その時の事は文藝春秋の"いつも音楽があった"
というエッセイ本に記されてあります。
戦時中
当時の仲居さんたち
自給自足に近い状態。
戦時中
陸軍病院に接収されていた時
写真は離散会
昭和20年代
昭和20年
17代(右)5年振りに 戦地より帰宅の際
昭和24年
ミス上山パレード
現在もミス上山コンテストは 続いております。
昭和25年
元旦 従業員一同
昭和26年
広間新装 現在のロビー位置
欄間は現在、鶴の間へ
昭和27年
温泉掘削 菊屋さんと共同
昭和27年
俳優の古川緑波・川崎弘子
昭和27年
"さくらんぼ大将"のロケ
製作:芸苑プロ 配給:新東宝
昭和29年
久邇宮様(中央)ご来館の際
昭和29年
原泉掘削完成
現在も使用しています。
昭和29年
従業員一同での忘年会
唯一の楽しみでもありました
昭和29年
従業員一同での忘年会
お見せできないような可笑しな記録写真が
多数残っていました。
昭和30年代
昭和30年代
ウィーン少年合唱団 来館
昭和30年代
ハンガリヤ少年少女合唱団
会食時 畳に椅子テーブル
昭和30年代
ハンガリヤ少年少女合唱団
昭和31年
接客係一同
昭和30年代
お墓参りは必ず正装にて
昭和30年代
恒例の社員いも煮会
当時は山交バスを借りて
現在もいも煮会は毎年恒例
昭和31年
上山二日町の洪水
昭和33年
忘年会 記念撮影創業から2代目の玄関
昭和34年
忘年会 記念撮影
昭和34年
コンベンションホールが できる前の大会の様子です。
昭和34年
柳家小さん師匠
昭和34年
春風亭柳橋師匠
昭和34年
俳優の二木田鶴子・野口啓二
金田一敦子・根上淳
美川純子
昭和35年
忘年会 記念撮影
昭和30年代
月岡ホテルの生字引
今も現役のきみちゃん。
館内で会ったら 声をかけて下さい。
右から2番目です。
昭和36年頃
現在の真砂あたり
昭和38年
忘年会 記念撮影
昭和39年
東京オリンピック体操選手
優勝選手 遠藤幸雄選手
平田卓次選手一行
昭和39年
月岡ホテル忘年会にて
昭和39年
坂本九氏一行
昭和40年代
昭和40年撮影
2代目玄関 外観
昭和30年代に改装
昭和40年撮影
北館
昭和40年撮影
離れ桧とアート風呂
昭和40年撮影
南館
昭和40年撮影
アート風呂 外観
昭和40年撮影
アート風呂 殿方
彫刻は桜井祐一氏の作品で現在は姫の湯へ移設
昭和40年撮影
アート風呂 婦人
彫刻は現在の姫の湯へ
昭和40年撮影
エコーライン風呂 殿方
昭和40年撮影
エコーライン風呂 婦人
昭和40年撮影
貸切家族風呂
昭和40年撮影
南館 洗面所
昭和40年撮影
中広間 57年まで使用
昭和40年
谷啓氏・植木等氏桜井センリ氏
昭和40年
月岡ホテル名物千枚鍋に舌鼓
ハナ肇氏
昭和40年
月岡ホテル名物千枚鍋に舌鼓
犬塚弘氏・谷啓氏・植木等氏
昭和40年
月岡ホテル名物千枚鍋に舌鼓
16代ともおばあちゃま発案
現在も人気のお鍋です。
昭和40年
アルフレッドハウゼ楽団
会食時、調理場も 宴会場に出張しました。
昭和40年
アルフレッドハウゼ楽団
畳に椅子テーブルで会食。94.
昭和40年
アルフレッドハウゼ楽団
畳に椅子テーブルで会食。
昭和40年
アルフレッドハウゼ楽団
まだ山形にシティホテルがなかったため、
外国人のエンターテイナーが当館へ宿泊に訪れました。
ペレス プラード(マンボNo5)
ザ・スプートニクス
ブレンダ リー
シル オースティン
イングリット へブラーも
昭和40年
アルフレッドハウゼ楽団
瓶の牛乳にバイヤリースのオレンジジュースを飲んでいます。
右のコップは今もロビーで使用しています。
昭和40年アルフレッドハウゼ楽団
チェックアウト時①
昭和40年
アルフレッドハウゼ楽団
チェックアウト時②
昭和40年
従業員一同 忘年会
昭和40年
三波春夫氏来館時
16代ともおばあちゃま 好きでたまらなかった様です
"これでいつ死んでもいい"
という手記がありました・・
昭和42年堺家晦日年中行事
現在も大晦日に行い
1年間の無病息災・家内安全を祈ります。
昭和43年
中館及び浴場棟の完成
昭和43年
当時の新入社員と接客係
昭和45年
本館落成 全景
創業から3代目の玄関
時代は新しく近代的な建築ラッシュの始まり
創業当時からの建物を新しくする度に壊すのが痛ましく涙がでた。
という手記がありました。
昭和46年
玄関前にネオンを付ける。
昭和47年
ボーリングの全盛期に 『月岡ボウル』完成
当時仕事終わりの仲居さんももんぺでゲームをしたそうです。
昭和47年
『月岡ボウル』4レーン
現在の料理茶屋紅葉の場所にありました。
昭和47年
ファミリーバー『if』 月岡ホウルに隣接
現在の紅葉の廊下位置に ありました。
昭和40年撮影
当時の客室係
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